こんばんは。
今回は2017年8月に彗星のように投下されて私の感情をメチャクチャに破壊したゲーム「偽物恋歌」と、
それにまつわる拙作「愛とは藍で哀」「不響」「にんじんエレベーター」などについて語りたいと思います。よろしくお願いします。
前置きをすると
・極度のメンヘラ要素
・自分語り
・自己解釈の押し付け
などが含まれていますので、だめそうと思ったら読んでいる途中でも遠慮なく閉じてください。
偽物恋歌をプレイしたのが投下された翌日だったと思うのですが、それ以降今日に至るまで二週目がやれなかった程度には感情を破壊されました。
Twitterのフォロワーから「ねが死にそう」などのワードが飛び出したのも無理はなかった……。
暗く変化していく数字、0、溶ける。
餡様と偽惚が、先輩のことを忘却して、それから薄膜でおおわれたような、不安定な関係に至る。
空席だった先輩のポジションがだんだんとすりかわり、愛が芽生え始めたところで、すべてを思い出してしまう。
プラネタリウムの青、潮の香り、にせもの、「話をしましょう」。
偽惚と餡様の感情の機微が見事に描かれているなかにも、後述の拙作や、タイトルの元ネタにもなっている「ニセモノレンカ」など、今まで総受けスレに投下されてきた偽惚と2003ダーエロの作品へのリスペクトが感じられる至高の傑作でした。
しかしなによりも、このゲームを最初にクリアしたときに、私は思ったのです。
これは7年を経て、他人の手により結実した「愛とは藍で哀」だと。
まず「愛とは藍で哀ってなに?」という方もいると思いますので説明すると、愛とは藍で哀とは総受け祭りLv2にて提出予定だった拙作のことです。
提出予定「だった」というからにはエターなっています。
このゲームをなんとか完成させたくてあがいた結果の産物が総受け祭りLv3No3-1「不響」なのですが、私は不響を完成させて以降も懲りずに愛とは藍で哀を完成させようとしていました。
どのくらい頑張っていたかというと、シナリオエディタの中に書きかけのシナリオが1万字ほど埋まっています。
しかしいくら頑張っても愛とは藍で哀は完成せず、私はやがて不響という不確かな土台の元「偽惚と2003のイチャイチャラブラブ物語」「死霊術師と屍」などの続編を作りはじめました。
不響をプレイした人はわかると思うのですが、あのゲームのシナリオって3000字もないんですよね。横っちょについた謎の小話(当時の心境がわからないので今も謎のままです)含めても5000字あればいいほうじゃないだろうか……。
そんな不確かな土台の元、私は7年間ksgをtkり続けていました。途中で私生活だのに色々あってスレを離れたりもしましたけど、それを抜いても5年ほどはtkっていると思います。
実を言うと、私は常に不安でした。不響というゲームは完成度ももちろんですが、フォルダ名につけられた「でんぱ」の名の通り、他人に完全に理解されることを前提として作られていません。
そんな不確かなゲームを土台に何年も創作をしてたら不安にならないわけがないと思います。事実、何度かブログなりTwitterなりに愚痴をこぼした覚えがあります(探したけどログがなく記憶しかないですが)。
思えばそんな不安を抱いていたからこそ、私は愛とは藍で哀がエターなっていてもう完成させられないことを受け入れられなかったのだと思います。
2014年後半から1年半ほど、私は学業に専念するために総受けスレから離れていたのですが、ある日こんなことを思いました。
「せや!全部終わらせたろ!」
全部終わらせる、というからには本気で以降の総受けでの活動を終わらせる気でいました。
そんなことを思ったきっかけは色々あるのですが、リアルで様々な事情から身の潔白を求められたから、が一番の要因だったような気がします。
そこから昔馴染みのSkypeに押しかけてこれまた色々迷惑をかけました。
最初はその昔馴染みにすべてのシナリオが込められた渾身のファイルを押し付けてすべてを終わらせた気になろうとしていたのですが(今思うとすごい迷惑だったと思います……)
ちょうどその頃、総受け祭りLv7の話題がスレにのぼり、開催されることになったのです。
なんだかんだで総受け祭りには無印から皆勤賞していますので、どうせならLv7に完結作をtkって出そう!という心境になり、私は完結作を制作し始めました。
出だしが思いつかなくて安価をとって、そこから構想を練って、シナリオを書いて、打ち込んで……。
そうして出来上がったのが総受け祭りLv7No1「にんじんエレベーター」です。
にんじんエレベーターが公開されてからは掲示板に寄せられた感想を読んでは死んで読んでは死んでを繰り返していました。
そうして「終わらせる」つもりから一転、「やっぱり2003ダーエロが世界で一番好きだ」という感情に気づき、私は総受けスレに戻ってきました。終わらせるとはなんだったのか。
その結果生まれたのが「Untitled」(空気と贋作のラブラブデート・継)「三白眼共のクリスマス」だったと思います。
私はにんじんエレベーターの続編を、不響の続編を作りはじめました。そうするとやはり愛とは藍で哀の完成に手を伸ばしたくなるもので、私は懲りずに脳みその奥底で考えていました。
完成させたい、エターなってなんかいない、いつか完成できる、モチベがないだけ。
そんなときに現れたのが「偽物恋歌」でした。
私は不響という不安定な土台の上に、7年ものあいだ作品を積み上げてきました。
その作品の中で、不響で語られていない設定、つまりは愛とは藍で哀で表現される予定だった要素を入れることはよくありました。
いつか愛とは藍で哀を完成させられると信じて、いつかこの設定の真意が明文化されると信じて……。
しかしそのときは結局訪れず、できあがったのは語られていない設定まみれのぐらぐらのツリーでした。
そのぐらぐらのツリーを、見事な手腕で一本の樹に仕立て上げたのが、ほかならぬ偽物恋歌だったのです。
偽物恋歌を冒頭だけプレイしたとき、失礼ながら不響とにんじんエレベーター「だけ」をベースにして制作された作品であると思っていました。
しかし実際は違いました。
私が「結実」という表現を使ったのには理由があります。
それは、このゲームがにんじんエレベーターのスタッフロールで述べられた「過去作品」や、今まで総受けスレに投下されてきた偽惚と2003ダーエロの作品、それらの設定を余すところなく回収していったからです。
私の不安定な7年を、叫び散らしながら作り上げたぐらぐらのツリーを、余すところなく吸収し、偽物恋歌という果実を実らせた。
とても身勝手な感情ですが、そう思わせるほどにこのゲームの既存設定の回収の巧さは凄まじかったのです。
偽物恋歌では、2003のことを思い出してからの偽惚と餡様の話もまた描かれています。
それはつまり、このゲームには未来があるということです。
私は終わらせようとしてにんじんエレベーターを作り、終わらせたくなくなってUntitledを作りました。
私はなんとなく、これからも長い長い不響の蛇足を作り続けるのだろうな、と感じていました。
しかし、偽物恋歌はそんな私に告げたのです。
蛇足などではない、それはまさしく未来である、と。
偽物恋歌において2003のことが思い出されるのは、おそらくUntitledの設定でしょう(違ったら申し訳ありません……)。
私が作り上げた蛇足は、未来につながる糸の一本となっていたのです。
ここまで散々書き散らしたことからわかるとおり、偽物恋歌は私を救いました。
エターなっていることを受け入れられなかった愛とは藍で哀を。
ぐらぐらの土台になっていた不響を。
終わらせられなくなっていたにんじんエレベーターを。
そのすべてに決着をつけてくれました。
そして、これまでの7年間は無駄ではなかったんだと、そう言ってくれたのです。
そういえばみなさんはフリゲ2017をご存知でしょうか。2016年12月~2017年11月に作られたフリーゲームのなかで最も良かったと思うものに投票しよう!というアレです。
偽物恋歌は2017年8月29日に投下された作品ですので投票対象です。投票対象です。大事なことなので2回言いました。
私はご存じだと思いますが偽物恋歌に投票してきました。
みなさんも神ゲーに投票するのを忘れないようにしましょう。
エゴサ用にツイートボタンを設置しました。ご活用ください。
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